プロ野球の生みの親「CIAスパイの正力松太郎」と彼に翻弄された沢村栄治。スポーツという巨大エンタメビジネスの暗闇。甲子園も何だかな。

「沢村賞」。

元野球小僧でありながら、プロ野球のタイトル・賞の1つである沢村賞の沢村栄治について全く知らず、名誉な賞ぐらいにしか思っていませんでした。

前回はアスリートの記録向上には人間の進化ではなくその多くがテクノロジーの進化によるもので、アスリートの成績もお金の影響が強いと書きました。

トレーニング界は本当に進歩しているのか?パフォーマンスピラミッドの本当の姿。

プロ野球でお金持ち球団と言えば巨人です。どうして巨人はこんなに資金があるのでしょうか。ということで今回は前回の続きとしてスポーツ界の暗い面について触れてみたいと思います。

巨人の生みの親「正力松太郎」はCIAのスパイ

以下はプロ野球の「賞・タイトル」一覧です。皆さんは全部言えますか?

【投手のタイトル・賞】
最優秀防御率・最多勝利・最多奪三振・勝率第1位投手賞(最高勝率)・最多セーブ投手・最優秀中継ぎ投手

【野手のタイトル・賞】
首位打者・最多本塁打・最多打点・最多盗塁・最多安打・最高出塁率

【その他の賞】
最優秀選手(MVP)・最優秀新人・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・沢村賞
スピードアップ賞・カムバック賞・正力松太郎賞

【シーズン中に受ける賞】
猛打賞・月間MVP

出典:プロ野球用語辞典

知っているものも多いと思いますが「正力松太郎賞」は意外に認知されていないかもしれません。

正力松太郎賞は、そのシーズン中にプロ野球の発展に最も貢献した監督、選手らに贈られる賞で、日本球界最高の賞と言われる。

正力松太郎賞選考委員会によって審議して選出され、選出されたものには金メダルと賞金500万円が贈られる。その年の日本一になった球団の監督が受賞することが多いのが特徴。

正力松太郎氏は1934年現在の読売ジャイアンツの前身である「大日本東京野球倶楽部」を創設し、巨人軍オーナー、プロ野球コミッショナーを歴任し、1959年には野球殿堂入りした。  出典:プロ野球用語辞典

日本球界最高の賞。賞金は500万とおそらく最も高額な賞金です(沢村賞は300万)。これだけ見ると殿堂入りまでした正力松太郎という人物は偉人のように思えてしまいます。調べればそうではないことがすぐにわかりますが、正力松太郎氏について以下に述べます。

正力松太郎

読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれる。東京帝国大学法科大学卒で内務省に入り、警視庁警務部長になったが、虎の門事件の警備責任から引責辞職した。
翌年、経営難で不振の読売新聞を買い受けて社長に就任し、新聞界に転じた。以後、政財界に影響力を拡大。1940年(昭和15年)の開戦時は大政翼賛会総務であったためにA級戦犯の第三次戦犯指名となり、逮捕されたが、起訴はされず、巣鴨プリズン収容者の1人となった。このためしばらく公職追放処分を受けた。戦後は、MLB選手を日本に招聘して日米野球を興行するなど野球界で尽力したが、一方で長期にわたる中央情報局(CIA)への協力(非公式の工作活動)をおこなっていたことが、アメリカで保管されている公文書により判明している。

写真・出典:wiki

若い人は勘違いしてるかもしれませんが、ナベツネ氏が巨人の生みの親ではなく、この正力松太郎氏がプロ野球、そして巨人の生みの親なのです。日テレを作り、原発を推進した人物です。これらを推進してきた理由は明確であり、CIAのスパイだからです。スポーツは3S政策(sports, sex, screen)の1つであり、スポーツに熱狂させることで庶民の関心を、若者のエネルギーを政治に注がせないようにするのです。テレビは何といっても洗脳ツールの元祖であり、新聞などのマスメディアはジャーナリズムではなく、株主や支配層の広報部なのです。原発は支配層を潤し、庶民を枯らせる金のなる木です。

敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。米軍は3S作戦実行のため、戦前からのCIAスパイである読売新聞の創立者、正力松太郎とその部下渡辺恒雄(現在の読売新聞・経営者)に「命令」し、CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。CIAスパイエージェント正力松太郎は、CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に「アオッタ」新聞である。日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、CIA新聞である読売新聞を使った米国の戦略であった。

正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている。

郵便局民営化に徹底的に反対した経済学者植草一秀等が、電車内でのチカン容疑等でマスコミに徹底的に叩かれる理由がこれで明確になる。日本のマスコミは「米国に対し反抗的な人間のスキャンダル等をマスコミに流し、社会的に抹殺する」心理戦争部門として作られた米軍施設である。

読売新聞、日本テレビ経営者渡辺恒雄は、CIA工作員として日本最大の新聞社、そしてCIAテレビ局=日本テレビを経営し、3S計画としてプロ野球・読売巨人軍を大々的に宣伝し、日本にプロ野球ブームを拡げて行く。日本の新聞社、テレビ局等のマスコミ、プロ野球等のプロスポーツが日本人に「貴重な政治経済問題を考えさせず、問題から目を外らす」ための米軍の「支配の道具」として作られて来た事実が浮かび上がって来る。

米軍が武器を持ち日本に駐留し、日本を支配下に置いているように、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍は、米軍の「兵器」として「作られた」。

なお、読売新聞、日本テレビの創立者正力松太郎のCIAスパイとしての暗号名はポダムpodam、CIA・米軍の日本支配組織としての読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍のスパイ組織暗号名はポハイクpohikeである。

出典:世直し2009のブログ

ということで、私たちが慣れ親しんでるプロ野球というのはこういった背景を元にできているのです。巨人は色々と不祥事を起こしますが、根っこがこうなんです、全て筋が通るというものです。

また、戦時中の新聞社は虚偽を伝え、庶民に戦争を煽っていました。そのため正力氏はA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されました。(ちなみに岸信介氏もA級戦犯として逮捕、そして無罪放免されています。岸信介氏の孫は皆さんご存知、安倍首相です)

多くの国民が貧困に苦しむ敗戦後においても、大手新聞各社は、戦時中の虚偽報道を反省することはありませんでした。朝日新聞は、敗戦後当初、上層部はほとんど辞職しようとしませんでした。昭和20年8月の敗戦、3ヶ月後の11月にようやく、「国民と共に立たん」という社告を掲載し、社長以下重役が総辞職しましたが、数年後には、辞職したはずの村山社長は会長に復帰、さらにその後には社長にまで復帰して、昭和39年まで経営の実権を握りました。

また、読売新聞社では、当時社長であった正力松太郎が、GHQから戦犯容疑指名を受けた4ヶ月後にようやく辞任することを表明しました。しかし、昭和26年には、社長に復帰し、昭和44年まで経営の実権を握りました。虚偽の報道を続け、国民を欺き、戦争へと駆り立てながら、会社は潰れることなく、現在も存続しているのはなぜでしょうか。新聞社にまったく戦争責任に対する意識がないことは明らかです。

そして、戦争責任をとらない大手新聞各社が、戦後の日本において、テレビ局を設立していき、さらにマスメディアとしての力を獲得していきます。 出典:Thinker メディアが伝えない新聞・テレビの歴史といま

これでスポーツ、テレビ、そして新聞は、庶民を欺くわけがないとは言えないでしょう。なぜなら正力氏はCIAのスパイだったからです。巨人の選手たちにはもちろん純粋にプレーしている人もいるでしょうが、こういった暗部を知っておく事は支配層の思惑に騙されないための予防線になりますから知っておいて損はないでしょう。

このような人物が今も評価され、日本球界の最高の賞を名になっているのです。もちろん受賞した選手がこの歴史を知っていたとしても「辞退します」とは間違っても言えないでしょうが。

正力氏に翻弄された沢村栄治投手の人生

次は沢村賞を見てみます。

沢村栄治

沢村栄治は、1934年から1943年まで巨人の投手として活躍。17歳のときアメリカ選抜チーム相手に好投。プロ入り後はノーヒットノーラン3度、1937年春には24勝をあげてプロ野球初のMVPに輝くなどしたが、1944年3度目の徴兵の際、乗っていた船が撃沈され戦死。通算成績は63勝22敗、防御率1.74。付けていた背番号14は巨人の永久欠番となっている。 出典:プロ野球用語辞典

ダイナミックなフォームから豪速球を投げおろし、球界から注目を浴びていた沢村投手。その急速は定かではありませんが150kmは超えていたとも言われています。正力氏に強引に口説かれプロ入りさせられた沢村投手はまさに悲劇のヒーローでした。

黎明期の巨人・日本プロ野球界を代表する快速球投手として名を馳せた。
しかし、徴兵によって甲種合格の現役兵として帝国陸軍に入営、1938年から満期除隊の1940年途中まで軍隊生活を送り日中戦争(支那事変)に従軍。手榴弾を投げさせられたことから生命線である右肩を痛めた、また戦闘では左手を銃弾貫通で負傷、さらにマラリアに感染した。復帰後はマラリアによって何度か球場で倒れたり、右肩を痛めたことでオーバースローからの速球が投げられなくなったが、すぐに転向したサイドスローによって抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露し、3度目のノーヒットノーランを達成した。
その後、応召により予備役の兵として軍隊に戻り1941年終盤から1942年を全て棒に振り、さらにはサイドスローで投げることも出来ず、肩への負担が少ないアンダースローに転向した。しかし、制球力を大幅に乱していたことで好成績を残すことが出来ず、1943年の出場はわずかだった。
1944年シーズン開始前に巨人からついに解雇された。移籍の希望を持っていたが、鈴木惣太郎から「巨人の澤村で終わるべきだ」と諭されて、現役引退となった。その後、南海軍から入団の誘いがあったが、固辞した。 出典:wiki

単純にすごいなと思います。戦争による負傷にもめげず、本来のフォームからサイドスローに転向しても成績を残す。しかし、再度の出兵。そして解雇。実は正力氏からは「一生面倒をみる」と言われていたのです。

京都商業学校卒業後には慶應義塾大学への推薦入学がほぼ決まっていたが、正力松太郎が強引に口説いて同校を中退させて巨人入りさせた。正力は「一生面倒をみる」とまで言ったという。しかし、巨人は戦地から負傷して帰った沢村を解雇し、約束は守られなかった。また、2度も召集を受けたのは学歴が中等学校(旧制)中退であったからという説をとれば、中等学校を中退しての巨人入りは沢村のその後の運命を左右してしまったと言える。沢村は巨人から解雇を告げられた際、さすがに気落ちし、父親に「大投手などと煽てられていい気になっていた、わしがあほやったんや」と語ったが、自分を責めるだけで正力や巨人に対する恨みごとは言わず、入営時には笑顔を見せていたという。また、沢村の父親である賢治は、戦後のインタビューで、「栄治は中等学校中退だから。もし、卒業していたら、慶大に行っていたら、こんなに何度も(召集が)こなかった。すべては私のせいです。」と涙ながらに繰り返したという。    出典:wiki

この状況においても正力を責めず、自責する沢村投手。wikiには沢村投手の人物についてこのように記載されています。

「わしは、まっつぐ(まっすぐ)が好きや」を口癖にしており、妻にその言葉をよく言っていた。1940年の暮れ、軍隊への入営が近づいていた弟に、手紙で「人に負けるな。どんな仕事をしても勝て。しかし、堂々とだ。苦しい、そして誰にも言えない事はこの俺に言ってくれ。」と述べたという。普段は無口な人柄であったが、1944年に娘が誕生した際には、大喜びしてはしゃぎまわった。その数ヶ月後、妻へ宛てられた最期の手紙には、「生きて帰れたらいい父親になる。」と書かれていたという。

沢村投手の人生をこうして見ると何とも言えない日本人の潔さ、まっすぐさに感動しつつも、悲しい気持ちになります。こうして沢村投手は3回目の出兵で亡き人となるのでした。これが沢村賞の沢村栄治投手です。

別に正力氏には何の恨みもありませんが、事実として日本に対して行ってきた、いや今も続いている工作活動についてははっきとさせなければならないでしょう。私から見れば正力氏はただ自分の都合のいいように沢村投手を利用したようにしか見えません。そんな相反するような2人が同じプロ野球の賞・タイトルにいることに違和感を覚えます。

甲子園はオーディション会場と化したか?

夏の風物詩の1つ「夏の高校野球」「甲子園」。そのルーツもはっきり言えばビジネスです。甲子園は朝日新聞社と高野連の主催の大会です。

営利目的の企業化した大手新聞社は、記事を盛り上げるために、三面記事の脚色の他にも独自でイベントを作り出します。新聞社が、自ら主催して報道する娯楽イベントには、囲碁・将棋などがありましたが、その中で最も代表的なものは、 朝日新聞社が主催した全国中等学校優勝野球大会(現・夏の高校野球)です。高校球児の熱いドラマから始まり、活躍した人気選手がプロ野球界へと、それを追い続ける息の長いファンを獲得する一大エンターテイメントとして成立しています。当時から精神主義、集団主義、勝利至上主義を基調とする「武士道野球」を推奨していました。

新聞社の報道する野球の試合は、「日本人にモラルを教化する道徳劇」である一方、運営する側からすれば、企画運営・経営・報道までを一手に担える巨大ビジネスなのです。 出典:thinker

そしてこの朝日新聞社は先に少し触れたように戦争を煽った新聞社の1つであり、1882年(明治15年)に 政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受け始め、経営基盤を固めているのです。つまりこれが意味するのは「朝日新聞は政府と銀行家の広報部・工作員」にだったということです。

大阪朝日新聞(明治11年創刊)は、当初、政府(伊藤博文など)と三井銀行が資金援助する御用新聞でした。明治14~26年までの間、政府から極秘の資金援助を受ける代わりに密約を結んでいました。

この密約の重要な点は、『大阪朝日新聞』が政府を表面的に弁護することはなく、「中立ヲ仮粧シテ」みせることでした。これは政府のきわめて巧妙な新聞政策で、当時「多事争論」といわれた様々な言論活動をうまく統制するために「中立」言論を育成し、新聞界での支配権を握るためのものでした。

また明治21年には、伊藤博文の腹心・伊東巳代治が、『東京日日新聞』(現・毎日新聞)を買収し、伊藤系長州閥の御用新聞となりました。 出典:thinker

夏の甲子園が始まったのが1915年、密約が終わったのが1893年。しかし、どちらの時代も経営者は同じ村山龍平であり、この村山龍平は第一回大会の始球式をつとめています。そしてその後、朝日新聞から戦争を煽り、庶民を欺き、戦後も全く反省もせず、再び経営に戻るのです。こういったストーリーからマスメディアの本質というものが見えてこないでしょうか。

今の甲子園はどうでしょう?まさかマー君こと田中将大投手が北海道出身だと思っていないでしょうか?田中投手は兵庫県出身です。ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手が東京都出身だと思っていませんか?群馬県出身です。

もはや高校野球も県対抗なんかではなく、プロ野球のオーディション会場です。自分の出身県の高校を応援しているようで半分以上は違う県から来た選手だったりします。別にそうするなとは言いませんが、こうして上手い選手は強豪校に集中し、甲子園に出場する学校は毎年同じようなメンツになってきてしまうでしょう。

こうして常連校には中からも外からも支援が集まりますから、テクノロジーも手にしやすいわけです。このメカニズムはディビジョン分けされたスポーツでも起きます。甲子園の裏にもマネー戦争のようなものがあるのです。そしてこの学校スポーツの典型的な成功例というかビジネス例がアメリカの大学スポーツでしょう。学生はあくまで学生であり、労働者ではありません。チームが多くの収益を上げても学生には届きません。コーチなどにいくのです。上手い口実です。最近は少し変わってきているようですが。

甲子園もビジネス色が表面化してきているような気がします。根っこにあるのがエンタメビジネスなので当たり前といえば当たり前ですが。こうしてプロ入りした選手は知らずにCIAが作ったエンタメビジネス界に入っていくのです。用が済めばおしまいの世界です。

まとめ

スポーツ界は暗闇が一杯です。

スポーツは金のなる木。巨大エンタメビジネス。選手は企業の暗部を覆うための爽やかなイメージ作りに貢献。一般大衆の洗脳に貢献。用が済めばポイ捨てされる。ファンからもポイ捨てされる。空しい面を併せ持つスポーツ界。

全く独立したローカルな団体やチームなら問題ないでしょうが、巨大企業と結びいてしまうとその裏にある思惑が注入され、いつの間にか真水に濁りが出始めます。

名誉賞などを与えておけば、その人物の過去の汚点に目がいかなくなりますし、その汚点が事実ではなかったかのように思われてしまいます。名誉という冠が全てを盲目にしてしまうのです。

スポーツそれ自体とスポーツを悪用することは全くの別です。アスリートの素晴らしいパフォーマンスはときに感動や喜び、楽しみ、元気、を与えてくれます。アスリートが努力する姿はときに人生において大切なことを教えてくれます。

ただあくまでスポーツはエンタメビジネスです。そしてその背景にCIAや裏の組織が絡んでいるのであれば深入りしすぎないほうが安全です。

それはアスリートもコーチもトレーナーも観客も皆同じです。

■中山■

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ABOUTこの記事をかいた人

菜食の元パーソナルトレーナー。 2016年に洗礼(バプテスマ)を受け、クリスチャンになる。食の探求から陰謀論の世界に入り、真実を追い求める。そして真実は聖書の中にあると確信。食や運動などトレーナーからの視点とクリスチャンの視点を合わせた情報発信を行う。