トレーニング界は本当に進歩しているのか?パフォーマンスピラミッドの本当の姿。

先日非常に興味深いTED Talkを見ました。これって意外と盲点だと思います。

アスリートは本当により速く、より強くなっているのか?というタイトル。スポーツ関係者には是非おすすめしたい動画ですが、内容を要約すると以下のようになります。

  • アスリートの記録更新にはテクノロジー、マインドセットの進化が大きく関与している
  • それは競技環境(走路の材質、プールの構造など)や道具(自転車、スイムウエアなど)である
  • テクノロジーの導入に比例してアスリートの記録も向上している
  • 現在の好記録保持者が昔の競技環境でプレーするとその時代の好記録保持者とあまり変わらない
  • 昔は長身はバスケットに適しているといった概念がなく、中肉中背タイプが全てのスポーツの理想とされていた
  • そのマインドセットが競技によって適した体格があるといった適材適所のマインドセットに変わってきた
  • そのマインドセットの進化によってスポーツの記録の変化に関与しているといえる

デイヴィッド氏はトレーニング理論やアスリートの努力はもちろん認めた上でこういった見えにくい要素の支えがあってアスリートは大きく向上し、人間の可能性をより広げていると主張しています。

そしてこのトークを見ながら私は選手の成績に関わるその他の重要な要素に気づかされました。

スポーツはゴールドではなく金

大前提として私はトレーナーは不必要ともトレーニングが進歩していないとは全く思っていません。テクノロジーも否定はしませんが、スポーツというのは生身の勝負、つまり裸の勝負ではないということです。最新テクノロジーを身につけるかどうかは勝敗の大きな分かれ目になります。

例えば上のTed talkではこんな例が紹介されています。

自転車で1時間にどれだけの距離を走れるかというもので1972年のエディ・メルクス氏は約49kmという記録を作りました。1996年にその記録はプラス8kmも伸びました。しかし、2000年に当時のメルクス氏と同じ装備の自転車でトライさせてみたところたった300mそこらしか違いがありませんでした。つまりほとんどがテクノロジーによってもたらされた結果と言えます。トレーニングの貢献度は一体どの程度なのか。トレーニングは40年間何も進化しなかったのでしょうか。トレーナーにとっては考えどころです。

ちなみに古代のオリンピックは裸に香油を塗って競技をしていました。テクノロジーを一切身に付けず、裸一貫での勝負。そういった意味ではまだ過去のほうがフェアな気もしますが。

驚異の古代オリンピックより)

ただ、テクノロジーが進化したといってもそれを手に出来るかは別問題と言えます。なぜならテクノロジーを手にするにはお金が必要だからです。例えば、目の前に最新のスイムウエアがあってもお金が無ければ買えません。しかし、スポンサーがついてる選手なら難無く手に入れられるでしょう。ここで差が生まれます。つまり、お金の有る無しというのが実はものすごく記録に影響しているということです。

極端に言えばアスリートの成績はお金次第。これが私が気づいたスポーツにおける1つの重要な要素です。

貧しい家庭に生まれればスポーツすら始めることもできないでしょう。実はその時点で高いポテンシャルを持ったアスリートの芽が摘まれている可能性すらあります。ですからスポーツとお金は切っても切れない関係にあります。

あるコーチの言葉「選手はリクルートが9割」

数年前、私がまだ都内でトレーナー勤務をしていた頃です。オリンピックとも繋がりがあった会社だったので色々な話が聞けました。選手の育成に向けた会議であるコーチが「選手はリクルートが9割」と言ったそうです。それを聞いて私は「えっ?じゃあトレーナーはその1割にも関与してないってこと?」と思いましたが、正直頷けなくもない話でした。というのも指導経験からどんなに真面目にトレーニングしても伸びにくい選手というのは存在し、逆に怠慢でもパフォーマンスレベルが高い選手が存在するからです。

ポテンシャル、いわゆるセンスの有る無しというのは非常に大きな要素だと思います。人間は鍛錬によって成長しますが、その土台が大きいか小さいかによって伸び率は大きく変わってきます。ですから勝敗の分かれ目はそのセンスの高い選手をリクルートすることが第一であり、それが9割占めるというコーチの言葉はまさに的を得た言葉だと思います。努力はもちろん必要ですが、DNAの宝くじに当たるかどうかは非常に重要なのだと思います。最近はアフリカ系日本人のアスリートも活躍してますからね。やはりDNAの影響は大きいというところでしょうか。

パフォーマンスピラミッドの本当の姿

さて、アスリートのパフォーマンスに必要な要素を表現するものに「パフォーマンスピラミッド」があります。時代とともに変化してきていますが、現在最も支持を受けているのは以下のGary Cook氏のものかと思います。

根底に「基本的な動作や柔軟性や姿勢」という土台があり、その土台の上に各種トレーニングを効率的に積むことができ、その上に各種スポーツのスキルが成り立つ、というものです。

昔と異なるのは「動作」という概念が加わったことでしょう。いきなりガンガン筋トレをスタートするのではなく、まず人間としての基本的動作の質を整えること、正しくてスムーズな機能的な動きを獲得することを土台に据えることが重要としています。歩く、走る、手を上げるなどの基本的な動きが悪いのに筋トレをしても故障する可能性がありますからね。

私もこの考えには大いに賛成です。しかし、先に述べたようにスポーツにはお金がパフォーマンスと深く関わっているにも関わらず、お金という要素が加味されていません。そしてもう1つの重要な要素である「ポテンシャル、つまりセンス」というものも加味されていません。センスの有る無しは非常に、非常に大きな要素です。

このお金とセンスの加味されていないピラミッドは人々に不適切な希望を抱かせる可能性があると考えます。例えば運動に不向きな人がこのCook氏のピラミッドを見たらどう思うでしょうか?努力次第でパフォーマンスは高く伸ばせる、成功できると思わないでしょうか?個人的にはこのピラミッドにもう少し手を加える必要があると思います。例えばこのような感じです。

地上に頭を出している部分はCook氏のものと同じです。しかし、地下には続きがあり、ポテンシャルと経済力という土台の上に立っています。スポーツをするのにお金は必要。カラダ作りのために食べるのにもお金が必要。テクノロジーを手にするにもお金が必要。そしてまず運動センスが無ければ厳しいです。

また、Movementという基本的な動きの質は実はその人のセンスから派生したものであると考えます。というのはセンスのいい人は動きがキレイだからです。Movementトレーニングが不必要という意味ではなく、それ以前にやはりセンスの良い人を見つけることが大きなアドバンテージになるという意味です。リクルート9割ということです。

更に付け加えるとどこにピラミッドを建てるか?これも重要なことです。つまり適材適所です。背が低い人は基本的にバレーボールやバスケットには不向きでしょう。カラダが細い人はアメフトやラグビーには向かないでしょう。もちろん例外はありますが、ボールを打つことが得意ならサッカーよりも野球、カラダが大きくて逞しいならラグビーやアメフトにも適合する可能性は高いでしょう。自分の体格と競技特異性とマッチさせることもスポーツで成功するのに重要なことだと思います。

現代のパフォーマンスモデルのピラミッドは地上部分しか見せていないことが問題だと思います。いわゆる氷山の一角しか加味していないということです。

また、先に示した私のピラミッドモデルをズームアウトするとこんな風に見えるかもしれません。

実は自分は高いと思っていたのが横を見ると更に大きなピラミッドがあった、という具合です。その大きな違いは土台の大きさ、つまり生まれ持ったセンスや体格といったモノです。ですからまず自分がどれほどセンスがあり、自分はどの競技に向いているかを考えることはとても重要と言えます。自分で自分をふるいにかけるとでも言いましょうか。

どんなに軽トラを改造しても生っ粋のスポーツカーにスピードでは勝てないでしょう。更にそのスポーツカーに手を加えて改造を行えば更に性能が向上するでしょうから軽トラは更に勝ち目を失います。しかし、荷物を運ぶ点においては軽トラが勝つでしょう。軽トラが悪いわけではなく、自分のポテンシャルを知り、適した競技に配置することが重要だと思います。

また、個人的にはそもそもパフォーマンスモデルをピラミッドで表すことに少し違和感があります。スキルはもっと根底にあり、もっと大きい面積を占めていいと思うからです。その競技の練習こそ最も重要なはずです。トレーニングはあくまで補完的なものです。どんなにトレーニングが発展してもトレーニングと競技の間には埋められないギャップがあります。だからこそトレーニングは機能的にし、可能な限り競技に近づけるよう発展してきたわけです。だからスキルよりも下にトレーニングがあることに違和感があるのです。スキルを飾るためのトレーニング。

そのモデルは都市開発に似ているのではないかと思います。

土地の広さがポテンシャルの広さです。トレーニングの上にスキルがあるのではなく、関与はしつつもそれぞれ独立したものでトレーニングはスキルを飾ります。また、都市を開発していくにはお金が必要です。土地があってもお金がなければ開発は進みません。逆にお金があっても土地が狭ければ開発は限られます。この土地は増やす事も減らす事もできないものだからです。

ここまでまとめますと、スポーツにはセンス、お金、適材適所が重要ということです。しかし、それが見えにくくなっているということです。

トレーナーはどれだけアスリートの記録に貢献しているのか?

先に紹介したように40年間という時間の間で自転車における1時間の走行距離はほとんど変わらなかったという結果が出ました。40年間のテクノロジーを選手からはぎ取ったわけです。もしこの間にトレーニングが進化していたなら結果にもっと差があっても良かったはずです。それによってトレーニングは進化していたと確認できるからです。でも実際はテクノロジーを取ったら記録はほとんど40年前にタイムスリップしてしまったわけです。これをどう理解すべきでしょうか。

トレーナーはその間、何の貢献もしていなかったのでしょうか?

それは無いと思います。トレーナーは間違いなく貢献していると思います。ただ、同じようなポテンシャルを持った選手間での戦いに限ってはだと思います。似たようなドングリ同士の背比べならば微妙な差が勝敗を分けます。その微妙な差に限って貢献していると私は思います。つまり「選手はリクルートが9割」の残りの1割をトレーナーを含めたスタッフで分け合って協力しあってるのです。

ズバ抜けたセンスの持ち主には勝ち目はありません。ボルト選手がチキンナゲットをバクバク食べようとオリンピックで勝つのです。彼を脅かす存在が現れない限りボルトに栄養学は必要ないのです。つまり、ドングリの背(センス)が明らかに違うモノ同士で争えば高いほうが勝つのです。そんな状況ではトレーニングだとか栄養学だとかの世界ではないのです。

まとめ

  • アスリートの進化に貢献しているのは実は競技環境の改善やテクノロジーの導入が大きく影響している
  • そのテクノロジーを手にするにはお金が必要
  • 資金の無いアスリートは必然的に不利な状況に立たされる
  • アスリートには純粋なストレングスも必要だが、エコノミックストレングスも必要な要素
  • 現代のパフォーマンスピラミッドはもう少し視点を話してお金も介在させて見る必要がある
  • 自分のセンス、体格に合わせて競技を選ぶことも重要
  • トレーニングではどうにもならない部分が実は多いが貢献していないわけではない

スポーツとお金の関係性をもっと表面化させるとスポーツの見方、トレーニング指導の仕方ももっと違ってくるかもしれません。スポーツの世界は華やかに見える一方、その裏では努力を重ねなければなりません。かつて世界の王と賞賛された王選手でさえ、ダイエー監督就任当初は成績が上がらず、ファンからひどい罵声を浴びせられ生卵を投げつけられる始末でした。ファンというか人間というのはいい加減というか、スポーツ選手もファンから使い捨てされてしまうのですから悲しいものです。華やかな世界である一方、空しい面も隠せないのがアスリートの世界です。

最後に聖書からの言葉を引用します。

あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。 コリント 9:24-27

アスリートが得る冠というのはいつか朽ちてしまいます。それは永遠には輝かないのです。その輝きが続かないことを引退後に悟る選手も少なくありません。

アスリートが悪いわけではなく、その朽ちる冠だけに一生を捧げてしまうことは空しい結果を招いてしまうのです。スポーツは所詮エンターテイメントビジネスです。それ以上でもそれ以下でもないのです。聖書には朽ちない冠を得る方法が書かれています。

■中山■

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ABOUTこの記事をかいた人

菜食の元パーソナルトレーナー。
2016年に洗礼(バプテスマ)を受け、クリスチャンになる。食の探求から陰謀論の世界に入り、真実を追い求める。そして真実は聖書の中にあると確信。食や運動などトレーナーからの視点とクリスチャンの視点を合わせた情報発信を行う。