VEGANでもベジタリアンでもない「フレキシタリアン FLEXITARIAN」という生き方。

皆さんはフレキシタリアンという言葉をご存知でしょうか?

日本ではまだ馴染みのない言葉ですが、勘の鋭い方ならこの言葉が「フレキシブル+ベジタリアン」の造語だとお気づきになるでしょう。「柔軟な菜食者」でフレキシタリアンです。色々なベジタリアンの分類がありややこしいですが、今の私にピタリと当てはまるのがこのフレキシタリアンです。同義語としてセミベジタリアンがありますが、セミベジタリアンだと私にとっては縛り感が強く、イメージも硬いので同義語としては見ません。

私は3年以上VEGANライフを送ってきました。VEGANから肉食に戻った人の中には「VEGANは完全に間違いだった」と言う方もいます。未だに菜食について頭でっかちの人はよく理解せずに菜食を否定したりします。しかし、私はVEGANは間違っているとは思いません。逆に肉食も間違っているとも思いません。間違いは「何も知らない、知ろうとしない」ことだと思います。

今回はフレキシタリアンについて紹介しつつ、なぜフレキシタリアンなのか?その理由について書いていきたいと思います。食事のことで色々と悩んでいる方の頭のストレッチになれば幸いです。

フレキシタリアンとは?

「フレキシタリアン」は柔軟を意味する「フレキシブル」と、菜食主義者を意味する「ベジタリアン」を組み合わせた造語で、直訳すれば「柔軟な菜食主義者」という意味になります。このフレキシタリアンは、2003年度の米国方言・通用語協会で「役に立つ言葉」賞に選ばれた言葉で、平たく言えば海外の流行語大賞を受賞した言葉です。

そんな柔軟な菜食主義者「フレキシタリアン」ですが、柔軟と言ってもヨガをやっているという意味ではありません。ベジタリアンはご存知の通り、一切の肉食を行わない人たちを意味します。それに対しフレキシタリアンは野菜が中心の食生活ですが、肉や魚も食べたくなったら食べます。

細かい部分はありますが、「食事は野菜のみ」がベジタリアン、「食事は野菜が中心」がフレキシタリアンと考えてもらえば言葉の意味がわかりやすいです。「フレキシタリアン」が生まれる前は、「セミベジタリアン」や「パーシャルベジタリアン」なんて呼ばれていました。   PINSPOより

ポイントは、菜食についての理解があり、基本は菜食生活であるということです。積極的に動物性食品を食べようとはしないが、ケースバイケースで肉なども食べる、これがフレキシタリアンです。

1つ例えるならば、自分の家の冷蔵庫に動物性食品は入ってないけど、外の会食などでは肉も食べることもある。そんな人でしょうか。

以下に簡単に表にします。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-24-23-51-39

※これはおおまかな分類なので、個人個人で違ってきます。

ベジタリアンやヴィーガンは「食べる・食べない」の「固定された基準」がありますが、フレキシタリアンにはその基準はありません。言うならば、マインドが「Less Meat(動物性食品を減らす)」という方向に歩み続けるという「動的な基準」があるのみです。

ですから、例えばこれまで週7で肉を食べていた人が週5日に減らしているなら立派なフレキシタリアンです。しかし、ヴィーガン的視点で見ればまだこの人はヴィーガンではありません。肉食を減らしていてもです。また週5が週2に減ってもまだヴィーガンではありません。しかし、フレキシタリアン的視点からみればこの週7→週2のLess meatはかなり素晴らしいことです。大拍手です。もちろんヴィーガンの人も喜んでくれると思いすが、まだ同じカテゴリーに入ったとは思わないでしょう。

何となく伝わるでしょうかこのフレキシタリアンの許容範囲の大きさが?逆に基準が非常にグレーではある分、あの人はフレキシタリアンでこの人は違うという客観的な評価はしにくいですが、まぁそんな評価をする必要も無いと思うので、フレキシタリアンと呼ぶかどうかはあくまでもその人の自由でしょう。しいて言うなら、その人の気持ちがLess Meatに向かって動き続けているかどうかでしょうか。

「フレキシタリアン」は「パートタイムヴィーガン」や「ミートフリーマンデー」に勝る

title

(画像は日経トレンディネットより)

以前私がヴィーガンを啓蒙していたときは「パートタイムヴィーガン」という生き方をお伝えしていました。肉食を止める必要はないが、まずはパートタイムの仕事のようにヴィーガンの食事をコンスタントに取り入れてみる、それをおススメしていました。似たようなものに「ミートフリーマンデー」があります。月曜日は肉無しの日にしようという運動で、サタニストの手先であるポールマッカートニーが推奨している運動です。ヴィーガンの皆さん、ポールには注意して下さいね。私は全く信用してません。

少し話しが反れましたが、肉を減らそうという点で「ミートフリーマンデー」も「パートタイムヴィーガン」も「フレキシタリアン」も同じように思えるかもしれません。

しかし、フレキシタリアンは他の2つとは大きく異なります。
それはミートフリーマンデーとパートタイムヴィーガンは「基本肉を食べることを前提にした考え」であり、フレキシタリアンは「基本肉を食べないことを前提にした考え」だからです。

ここが大きく異なるところです。ですからフレキシタリアンとは大きなポテンシャルを秘めたライフスタイルだと思っています。どんなにヴィーガンの啓蒙活動をしても全人類がヴィーガンになるとは私には考えられません。肉の消費量、動物の扱い方を変えることはできると思います。それは是非やるべきことだと思います。

ですから、それに最も貢献するのはミートフリーマンデーではなく、フレキシタリアンだと思います。人々が受け入れやすいのはヴィーガンよりもフレキシタリアンだと思います。

でもヴィーガンの存在も大切

もちろんヴィーガンという選択は尊重すべきものと思います。それが強制からくる気持ちではなく、自らが喜んで気持ちよくヴィーガンライフを送るならばそれは素晴らしいことです。そして肉を食べる人を攻めない。

肉を一切食べないという選択もありです。また肉を食べるという選択もありです。ただ、人類全体として舵取りする方向はやはりLess Meatのほうであり、エコロジー、健康、動物福祉などの面で見てもメリットが多いのです。

ですから、肉食ばかりだった人が減肉に向かう際の選択肢としてヴィーガンレストランやヴィーガンストアはとても必要な存在なのです。もちろんフレキシタリアンにとってもです。また、色んなレストランもこれからはヴィーガンオプションを持つべきだと思います。ある意味ヴィーガンレストランはヴィーガンの人のためというよりも肉食の人のためにあるべきなのかもしれません。ですから肉食の方はどんどんヴィーガンレストランに足を運んで欲しいものです。ヴィーガンレストランに行ったとしてもあなたはヴィーガンになる必要はありませんし、強制される心配もありませんから、安心して下さい。

全人類がヴィーガンになるときは来るか?

先に書いたように全人類がヴィーガンになる絵は私にはイメージできません。現在ヴィーガンを啓蒙している方はいかがでしょうか?全人類がヴィーガンになる未来が描けるでしょうか?

「描けるかどうかよりも、やるかやらないかだ」と言われればそうかもしれませんが、非常に苦しい戦いになることは間違いないでしょう。私の考えとしては「ヴィーガンを啓蒙しても、ヴィーガンになれる人はなればいい、ただ全体として提示するゴールとしてはフレキシタリアンを採用する」そんなやり方がもっとも効果的に肉の消費システムを変え、動物福祉の向上を招くと考えます。ただ「全人類はヴィーガンにはならない」という前提です。

ヴィーガンの方からすれば私の考えは物足りないものかもしれません。ただ、実は「全人類がヴィーガンに戻る」可能性はあると考えています。

「ヴィーガンに戻る」とはどういう意味か?それは最初の人間アダムとエバに与えられた食べ物は全て植物性食品だったかことに関係します。つまり神様ははじめ人間にヴィーガン食を与えたのです。

人間はもともと菜食だった?肉食動物もいなかった?聖書から肉食菜食を考える。

2016.09.25

しかし、人間同様に過去に動物も大きな罪を神に対して犯し、その裁きとして人間の食べ物になります。しかし元はと言えばアダムが神様との約束を破り、人間に罪が入り込んだことが原因です。楽園を追放されてから今の今まで神様はずっと人間を罪から清め、人間を楽園に戻したいと考えていました。そして最後の手段として自分の息子イエス・キリストを地上に送り、救いの計画を述べ伝えさせたのです。

いずれこの地上世界はますます悪が満ち、クリスチャンへの迫害は酷くなり、天地に災いが起き、苦しみが頂点に達します。その後、神の裁きが訪れ、神の御心にかなう者は神の国に入り、そうでない者は永遠の炎で焼かれる、そう預言されています。天の国の到来は妊婦の産みの苦しみと同じで、子供を産む前に痛みと苦しみは頂点に達します。そして子供が生まれれば喜びに満たされます。それと同じプロセスで神の国もやってくるのです。

そして…

新しく訪れる天の国はきっとアダムとエバが最初にいたエデンの園と同じような楽園なのだと私は思うのです。つまり、肉食動物もいない、争いも殺し合いもない、一言で言えば「平和」に満たされた国です。そして食べ物で言えば最初と同じように私たちには植物が与えられると思うのです。

神の国に入ればそこは動物愛護者の目標も自然と達成されるのです。つまり、動物が苦しむ時代も終わりが来るのです。それはヴィーガンを啓蒙する人にとっては夢の世界です。

聖書に書かれている預言はことはことごとく実現して今に至っています。ならばキリスト教的終末論は実現すると私は信じています。しかし、その世界に入れなければ永遠の炎で焼かれ、もちろん神の国を見ることもできません。そして神の国に入る条件はイエス・キリストを救世主として認め、信じ、その教えに従うだけなのです。かつての私のゴールはVEGANを伝えることでしたが、それよりも大切なことを見つけたのです。だからこそ私はもうVEGANにこだわり過ぎるのを止めたのです。

「全人類がヴィーガン」という絵を見たいならやることはイエス・キリストに従うだけなのです。

ベジ系の人が天の国に入りにくい理由

特にヴィーガンを啓蒙する人たちは「全人類がヴィーガンになるならその絵を見たい」そう思う人が多いと思います。しかし、残念ながらそういう人たちこそ逆にその絵を見れない可能性が高いのです。

なぜか?それは菜食とニューエイジの結びつきやすいからです。ニューエイジとは自分の中に神を見いだそうとし、自分が神になろうとするサタンから来る大きな大きな嘘であり、いわゆるスピリチャル関連のものです。菜食の人の中にはヨガや瞑想、スピリチャルな考えを持っている人が多いのです。

mystery-1639549_1920

菜食をキッカケに環境や健康問題を考えるはじめると「人間とは?命とは?宇宙とは?」といったスピリチュアル関連に意識が向きやすくなり、自分の内側をもっと探ろうとします。それによってスピリチャル系のものとリンクしやすくなってしまいニューエイジの考えに染まり始めるのです。

試しに周りを注意深く観察してみて下さい。人々が語る人生観の中にいつの間にか「カルマ」とか「輪廻」とか「神は大いなるエネルギーで全ては愛」とか「全ての宗教は全て同じ神、ゴールにたどり着く」といったものが入り込んでいることに気づくでしょう。また行っていることも以下に示すようことがいつの間にか広がっています。これらは全てニューエイジに含まれます。

チャネリング(コックリさんもその1つ)、ヨガ、瞑想、前世占い、霊性の進化、クリスタルヒーリング、レイキ、輪廻転生、カルマ、占星術、占い、タロット、引き寄せの法則、エイリアン、母なるガイア、世界統一政府(NWO)、シュタイナー教育、などなど。

世界から貧困や宗教の争い、環境汚染を無くし、平和を作るために通過も宗教も1つに統一された世界統一政府を樹立しようとする動きもニューエイジ的であり、それはニューワールドオーダー(NWO)としてよく知られています。

菜食に目覚めた人は「世界平和を実現する」というNWOのキレイな謳い文句に引き寄せられやすく、その裏にある真の目的に気づかないのです。裏にある真の目的とは「神の否定」に他なりません。NWOは最終的にクリスチャンを迫害することになります。言い方を変えればニューエイジの本当の目的とはクリスチャンを殺すことなのです。そしてニューエイジャーたちも本物の神様を否定したことでイエス・キリストの救いの船に乗れないのです。これこそサタンがやっていることなのです。「真の神様から遠ざける反キリスト」これがニューエイジの正体です。

菜食は確かにエコロジーや健康の観点から言えば間違いなくメリットがありますが、そこからニューエイジに発展し、自分の中に神性を見いだそうとすることは危険です。むしろ人間や天地を創ったのは一体誰なのか、つまり天地創造の神に思いを馳せて欲しいと思います。

誰でも素晴らしい陶芸品を見たら「素晴らしい」と思うことはもちろんですが、それ以上に「これは一体誰が作ったんだろう?」という点に興味が湧かないでしょうか?これが本来私たち人間が持っている「創造主を求める心」なのです。言うならばニューエイジとは陶芸家の作った作品を賞賛する教えであり、キリストの教えとはその作品を作った陶芸家を賞賛する教えなのです。

hands-1139098_1920

ちなみに進化論も神の否定なのです。例えばこちらなど参照。

本物の創造主から目を背けさせ、人間は自分たちの力で進化できる、神は不要である、これが進化論です。鉄くずを何億年も自然に放置したところで誰がそこに東京タワーが自然に建つと思えるでしょうか?アメーバのような生物が進化し、人間になったというのもこれと同じです。設計者がいるのです。でも私たちは作品ばかりみて作者には一向に興味を持たない、これが進化論の罠です。あなたが作った作品は賞賛されても誰もあなたに興味を持ってくれなかったらものすごく寂しくないでしょうか。

とにかく、菜食関係はニューエイジとの親和性が高くサタンに騙されやすいのです。それによってキリストの救いが訪れたとき天の国に入れないばかりか「全人類がヴィーガンになる」という未来図も見れないのです。

ニューエイジについては今後、私も熱を入れてその大いなる嘘を暴いていきたいと思います。

クリスチャン的視点から見た肉食

神が許可されたようにクリスチャンの教えに肉食を禁ずるものはありません。だからといって好き放題食べていいかと言えば私はそうは思いません。なぜなら動物も神が創った被造物の1つだからです。そして動物などの被造物の管理を任されているのが私たち人間なのです。

現在の人間の動物の扱い方はどうでしょう?
決して神様は喜んでくれるとは思いません。私たちは動物の扱い方をもっと考えなければならないでしょう。私たち人間が求めれば求めるほど、動物への扱いはひどくなる一方であり、それは神の被造物を雑に扱うことになります。ですから、やはりクリスチャンも肉食については神が許可したからといって無関心になるべきトピックでもないと思います。もちろん神が人間に与えてくれた食べ物ですから神に対して感謝して食べるべきだと思います。

例えばあなたが息子に部屋を与えたとして、その部屋が散らかり放題で不潔な状態であるのを見たら、どうでしょうか?忠告しないでしょうか?ですから、私たちが肉の消費が増えたことで病気になるというのは1つは神様からの愛がゆえの忠告なのだと思います。肉を食べてもそれは罪にはなりません。肉を一切食べなければ天の国に入れるわけでもありません。食物の規定に従うことが救われる条件ではないからです。

私は以前、肉を食べることに対して「感謝して食べる」というのはどうにも納得いきませんでした。しかし、誰に対して感謝すべきなのかがわかったとき、全てのものを与えてくれた神様に感謝すべきだと私は思うようになりました。それが肉でも米でもです。もし与えられるなら第一に神様に感謝して受け取る。もちろんそれを作ってくれた農家や色んな方に感謝の思いを抱くことも大切ですが、根本にあるのは全ての創造者である神様であり、それを理解するならば全ての食べ物を「感謝して食べる」という言葉は決してナンセンスではないと考えています。

食の安全性はもちろん気にすべきだが

pasta-663096_1920

食の安全性についてみれば、やはり畜産物は少ない方がいいと思います。遺伝子組み換えのエサ、それに使われる農薬、家畜に打つ抗生物質、病気の家畜、の問題があるからです。

もちろん食の安全性については肉食に限ったことではありませんが、菜食のほうがそのリスクは格段に低いと言えるでしょう。肉は食べなければ食べないで良いと思います。ただフレキシタリアンとして肉などを食べるならばその時は多少の毒は受けるつもりでどんと構えれば良いと思います。「これは毒だ!」と笑い飛ばして食べるぐらいでいいかと。その分「明日はオーガニックのヴィーガン食で攻めよう」でいいんじゃないかと思います。今の世界で生きていれば100%毒物を避けるのは難しいでしょう。もちろんできる限り悪いものは避けるのは大切ですが、そこにシリアスになりすぎて身も心も疲弊していては良い食材もそれこそ毒になりかねません。

そういった意味でもフレキシタリアンは頭も心も柔軟なのです。

ちなみに、1つ個人的な意見を言わせて頂くと健康に携わる職業人がこういった諸問題を加味せずにSNSに「タンパク質が」とか「肉祭り」などと投稿して肉食を煽っているの同じ健康に関わる身としては少し心配です。「私は食の安全性については何も知りません」と言っているように見えるからです。これはまるで某有名栄養大学がやってることと同じです。一般の方がSNSで肉の写真を投稿しても気になりませんが、専門家は別です。現代栄養学のルーツは「マーケティングツール」です。もし自分がその一部になりたくなければ以下の記事など参照してみて下さい。

さて、フレキシタリアンについて色々と書いてきましたが、ヴィーガンの方からすれば「フレキシタリアン」とは柔軟なんかではなくただの「生温いタリアン」だと一蹴されてしまうかもしれません。しかし、ヴィーガンの方が喜んで支援するミートフリーマンデーよりも遥かに大きな問題解決力を持っているのはフレキシタリアンだと私は思っています。そして人々が受け入れやすいのもフレキシタリアンではないでしょうか。

I’m no longer VEGAN

私はもうVEGANではありません。実は先日友人と食事をしたときに実に3年以上ぶりに卵、シーフードを食べました。クリスチャンの集まりでチキンを1口頂きました。

久しぶりの動物性だったのでカラダがどうなるかなと思ったらそこまで大きな反応はでませんでしたが、次の日はやはり発疹のようなものが数カ所できました。小さくて気づかないレベルのニキビが久々にできました。動物性のものが関連してるのかは定かではありませんが、おそらくカラダがびっくりしたのでしょうね。

ただ自分では肉などは買っていませんし、自分で食事をするときは今まで通りヴィーガン食です。オーガニックのものをできるだけ選びます。これからもそうしようと思っています。ただ友人と食事をするときや何かもらったときは口にしてます。フレキシタリアンのバランスが一番良いのかもしれません。昔の日本人の食事バランスはナチュラルにフレキシタリアンだったのだと思います。普段は粗食、祝い事では肉を食べたりした、それが一番良いのかもしれません。

フレキシタリアンこそ社交性を保ちながら、環境、健康、動物福祉なども大きく改善させるポテンシャルを秘めたライフスタイルだと思います。

■中山■

2 件のコメント

  • しっかり読ませて頂きました!
    私も、帰国してからもほとんど肉を食べなくなりました!そういう場になった時に食べるくらいで自ら選ばす、買わずって生活してます!
    なのに、身体は健康で便も良く肌も絶好調でなんの悪影響もありません!
    自己実験のつもりで始めたにも関わらず予想外に続き、今となっては肉を欲っさなくなりました♡
    私もフレキシタリアンって言えるでしょうか!笑

    • Risaさん
      もう立派なフレキシタリアンです。節制のために肉を食べないのと、別に食べたいと思わないから気づいたらそんなに肉を食べてない、というのは全然違うからね。でも肉を食べたとしてもプレッシャーを感じない、それぐらいでいいと思います。調子も良いということで次に会う時はもっと美人になってることでしょう。サロンも順調に行きますように。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    菜食の元パーソナルトレーナー。 2016年に洗礼(バプテスマ)を受け、クリスチャンになる。食の探求から陰謀論の世界に入り、真実を追い求める。そして真実は聖書の中にあると確信。食や運動などトレーナーからの視点とクリスチャンの視点を合わせた情報発信を行う。