日本人のルーツは聖書の中に。「日本とイスラエル」「神道とユダヤ教」の共通点。日本人こそ聖書を手に取るべき民族である。

イスラエル。

その国の名前を聞くと「危険」「戦争」「テロ」そんなイメージを抱く方も多いかと思いますが、実は日本の「日本の神道」と「イスラエルのユダヤ教」は数多くの共通点を持っているのです。もちろん日本はアジアというくくりで見れば韓国や中国と似た文化も持っていますが、特に遠く離れた中東にあるイスラエルと似ている、いや、はっきり言えばイスラエルにのみ似ているのです。

聖書とはイスラエルを中心に展開されている書物なのです。そうです、古代のイスラエル人、つまり聖書の民が日本に渡来し、神道を作ったのです。これは日ユ同祖論とかイスラエル人渡来説などと言われており多くの著書も出ています。

神道とユダヤ教を比較して見ることは私たち日本人のルーツを知るという点で非常に重要です。自分がどこから来たのか?それを知りたいと思いませんか?どこから来たのかわかれば、どこへ行くのかもわかるというものです。

私たち日本人は悲しいことに自分たちのルーツを失っているのです。いわば心は難民なのです。私たちの心のふる里は聖書にあるのです。今回は私たちのルーツを知る上で興味深いものをいくつかご紹介したいと思います。

残念ながら神道にも異教(悪魔崇拝)が紛れ込んでいるため、聖書にもそのルーツを見いだせないものがあります。その最たるものが天皇という人間を神のように崇める偶像崇拝です。聖書において最も忌避するべきは偶像崇拝なのです。日本人のルーツを知るという点で神道を知ることは大切ですが、すでに内部に悪魔教が混入しているため、深入りしないほうが良いでしょう。

「神道のルーツとユダヤ 久保 有政 著」を参考にしています。

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祭り

①おみこしとアーク(契約の箱)

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右上がお祭りで使うお神輿、左下がアーク、契約の箱と言われる移動式の神殿です。実はこの2つのルーツは同じと言えます。アークの上にはケルビムという羽をもった天使の像があり、みこしの上には鳥の像があり、見た目も構造もそっくり。ちなみにインディ・ジョーンズの失われたアークのアークはこれがモチーフとなっています。

②みこしのかけ声「エッサ」

エッサは日本語では意味をなしませんが、ヘブル語では「運ぶ、持ち上げる」といった意味になるようです。※ヘブル語とはイスラエルの言葉です。

興味のある方はこちらの動画など。

③お田植え祭り(愛媛県今治市 大山祇神社の1人相撲)

大山祇(おおやまずみ)神社にてユニークな祭りが行われています。見物となっているのが1人相撲です。その名の通り、パントマイムのように1人で相撲をとるのです。戦っている相手は豊穣を司る神様とのこと。

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そして聖書にも同じようなシーンを確認することができます。イスラエル民族の父祖となるヤコブが神様に与えられたカナンという地に帰るときのこと。

何者かが夜明けまでヤコブと格闘した 創世記32.25

この「何者」とは天使でした。天使は普通目に見えない存在でした。

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画像はこちらより

そして興味深いことに大山祇神社の神、大山祇命(おおやまつみのみこと)は百済からやってきた渡来した神ということ。つまり、この大山祇神社のこの1人相撲は渡来した風習、言い換えれば日本独自のものではない、ということです。ちなみに、イスラエルで日本の相撲は人気があるとか。

④御頭祭(長野県諏訪大社)

先に聖書の話から。ユダヤ、キリスト、イスラム教の始祖にあたるアブラハムという人物がいました。

あるとき神はアブラハムの信仰を試すため、アブラハムの息子「イサク」モリヤの丘で生け贄にするよう命じました。アブラハムはショックを受けながらも、息子イサクを神に捧げようと、イサクを縛り上げ、ナイフを振りかざします。と、その瞬間、天使がアブラハムの手を止め、信仰の深さを知った神は更にアブラハムを祝福します。そしてイサクの代わりに近くにいた羊を捧げた、という「イサク奉納」という話があります(創世記22章)。

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(画像はこちらより)

そしてこちら長野県諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)。

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(画像はこちらから)

明治以前の御頭祭はまさにイサク奉納と全く同じです。何も知らない日本人がこの祭りを見たところで意味不明でしょう。もし仮にユダヤ人がこの御頭祭を見たら、間違いなくイサク奉納の話を思い出すでしょう。また、諏訪大社には鹿などの首が多数置いてありますが、これは羊の代わりと思われます。

そして面白いことにこの御頭祭は別名「ミサクチの祭」と言われているようで、このミサクチをミ〜イ、サ〜ア、ク〜ウ、チ〜イ、と伸ばして言ってみるとイサクの名を見つけることができるのです。

ちなみに、イサク奉納はモリヤの丘で行われ、この御頭祭は守屋山で行われています。

また、諏訪大社では御柱祭というものもあります。

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諏訪大社の御柱祭とは・・・
7年に一度行われる諏訪大社の神事で、長さ約17メートル、重さ10トンにも及ぶ大木を山中から切り出し、それを氏子らも大木と共に坂から滑り落ちていき、社殿まで運ぶという豪快なお祭りです。
旧約聖書の列王記という歴史書には、”ダビデ王の子ソロモン王が、ソロモン宮殿を造るときに、大木をレバノンからエルサレムまで運んだ”、と書かれています。御柱祭の原点も、この古代ユダヤ教の旧約聖書に見出すことができるのです。  こちらより引用

 

⑤剣山のアーク

実は四国にある剣山は古代イスラエルにまつわる伝説が数多くあることで有名な場所です。イスラエルから姿を消した契約の箱(アーク)は剣山に隠されているという話もあります。

さて、興味深いのは「剣山の山頂にお神輿(アーク)をかつぎ上げる」というお祭りがあることです。そして注目すべきはそれ7月17日に行われるということです。つまり、7月17日にアークを山に担ぎ上げるのです。

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劔山本宮の例大祭は、標高1955m、西日本第二の高峰、霊峰剣山の山頂で毎年7月17日の例祭日以降の日曜日に繰り広げられます。 日本の祭りより

実は7月17日はかつて大洪水から救われたノアの箱船(アーク)がトルコのアララト山に漂着した日と同じなのです。つまり、剣山のお祭りは実は大洪水の出来事を再現したお祭りと言えるでしょう。

第七の月の十七日に箱船はアララト山の上に止まった。 創世記8.4

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ちなみに右の画像は実際にトルコのアララト山で発見されたノアの箱船らしき人工物の人工衛星からの写真。調査から明らかに人工物とされています。調査が進むにつれ、トルコ政府が調査を中止させたとか。これが本当にノアの箱船だとわかれば聖書がますます正しいと分かってしまいますからね。詳しくはこちらから。

言葉

①ヘブル語とカタカナ

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画像はこちらより

ヘブル文字とカタカナ。見れば見るほどそっくりです。実は古代イスラエル民族が住んだ地は「カナン」と言います。そして「カナンの文字」をヘブル語で言うと「クタ・カナン」となります。これが訛って「カタカナン→カタカナ」となったと言う説があります。

またひらがなについてはこうともあります。

「平仮名は漢字を簡単にしたもの」と一般に言われています。
しかし古代の初期のひらがなを見ると逆に絡み合った複雑な文字になっています。
これでは「漢字を崩して簡単にした」という理屈にあいません。
「ひらがな」も同じく、古代イスラエルの言葉で「エーラ・カナ」(絡み合ったカタカナと言う意味)が語源であると推察できます。  カタカナとひらがなの歴史より

 

②日本語とヘブル語の共通点

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画像はこちらより

実は民謡(ソーラン節)などもヘブル語で解釈すると意味不明な言葉も意味をなすようになるのです。

 

神社関連

神道といえば神社です。ちなみにお寺は仏教です。仏教と神道の違いがいまいちという方はこちらを参照下さい。

①古代イスラエルの幕屋と神社の構造

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画像は日本とユダヤのハーモニーより

幕屋とは移動式の神殿で文字通りテントのような簡素な作りになっていました。左が幕屋、右が神社ですが、基本構造が似ております。

②神官の服装

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左の図は神道の神官のものだが、イスラエルの祭司たちも同じような白を基調とした服装をしていた。

・白を基調としているシンプルな作り(歴上15.27)
・房をつけている(申命22.12)
・エポデをつけている(前掛けのようなもの)
・長服、腰帯、帽子をみにつける(レビ16.4)
※ちなみに中国において白色は「不吉・不幸」の色となります。

詳しくは日本神道のルーツは古代イスラエルへ。

 

③柏手(かしわで)

また、日本人は神社の拝殿の前でパン、パン、と二回手をたたくでしょう(拍手)。あの“手をたたく”というのは、古代イスラエルでは”私は約束を守る者です”という意味でした。
旧約聖書にしばしば「誓約をなす」という言葉が出てきます。しかし、そう訳された言葉の原語を直訳すると、「手をたたき」なのです(箴言六・一、エゼ一七・一八 新改訳欄外注参照)
つまり“私はあなたの約束を守ります”という場合に、古代イスラエル人は、相手の目の前で自分の手をたたいてみせました。それは”私はあなたに同意します”アーメン“というような意味であったのです。 日本神道のルーツは古代イスラエルより

 

わが子よ、もし友人の保証人となって他国の者に手を打って誓い… 箴言6.1

 

④禊ぎ(みそぎ)

神道では”清め”のために水を用いる。古代イスラエルも水でカラダを清める風習があった。

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(画像はこちら

祭司は自分の衣服を洗い、体に水を浴びた後、週区営に入ることができる。 民数19.7

ちなみに仏教にはこのように水浴によって身を清めるという風習はありません。

ユダヤ教でもキリスト教でも「水」というのは非常に重要な意味を持つものなのです。また、ミソギという言葉はヘブル語のミソグ(分別・聖別)という言葉から来ているとも言われています。

日本人はよく相手の過ちなどを忘れる、許すという意味で「水に流す」という言葉を使いますね。これを考えても日本人のアイデンティティの奥底にはミソギの文化が流れていることがわかりますね。

⑤塩

清めに関わるものとして日本人なら思い浮かぶもののもう1つは「塩」ではないでしょうか。神道も古代イスラエルでも供え物には必ず塩が添えられていました。

あなたの捧げ物には、いつでもを添えて捧げなければならない。 レビ2.13

また、小谷部全一郎氏によると明治維新以前に新たに赤児の産湯に少量の塩を入れる習慣があったそうです。そして古代イスラエルでも同じ風習がありました。

誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布でくるんでくれる者もいなかった。 エゼキエル16.4

他にも「お清め塩」もあります。日本ではお葬式に参加すると「お清め塩」が配られます。家に入る前に塩を振りかけてもらい身を清めます。仏教でも塩を使う宗派もあるようですが、それは神道を取り入れたものであり、あくまで清め塩は神道独特のものです。塩は清めと深く関わっていることがわかります。

お清め?とは少し違うかもしれませんが、よく気性の荒い男性が嫌な人とケンカした後「塩もってこい!!」「玄関に塩まいとけ!!」なんてセリフを聞いたことがないでしょうか?これもある意味「清め」であり、塩が登場するのです。

古代イスラエルにおいては征服した町に塩をまいたという記述があります。

アビメレクはその日一日中、その町と戦い、これを制圧し、……町を破壊し、塩をまいた。 士師記9.45

また、古代にあった悪徳の町として有名なのが「ソドムとゴモラ」。神はこの町を裁き、天から硫黄と火を降らせ滅ぼされました。そしてその跡地が実はかの有名な「死海」なのです。塩分濃度が高く、人間がプカプカと浮くことで有名です。

もともとソドムとゴモラの町は肥沃な地でしたが、神の裁きによって滅ぼされ、以後塩に覆われ誰も住めない土地になってしまいました。まさしく神様がそこに塩をまかれ、清めされた、塩をまくのはもともと神の風習なのだと久保氏は書いています。

風習・文化

①山伏(やまぶし)

山岳信仰者として「山伏」と呼ばれる人たちがいます。現在は仏教に属しているようですが、もとは仏教ではなく、日本特有の風習のようです。で、以下の写真です。

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画像はこちら

左側の方は山伏ではありません。ユダヤ人です。山伏が吹くのは「ほら貝」、ユダヤ人は「ショーファー」という羊の角で作った笛を使います。ユダヤ人は『旧約聖書』の言葉を収めた 「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付け、山伏が頭に兜巾(ときん)をつけています。酷似しています。ユダヤ人のラビ・トケイヤー氏によれば全世界において宗教的な黒い箱を額につける民族はユダヤ人と日本人しかいないと言っているそうです。

②天狗

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鎌倉の建長寺の天狗。画像はこちら

久保氏の著書に面白いことが載っており、思わず「なるほど!!」と思ってしまった話をご紹介します。

こちらの天狗は鼻はニョキと長く、山伏の格好をし、手に「虎の巻」を持っています。で、私たちはよく「虎の巻」という言葉を「秘伝の書」のような意味合いで使います。虎の巻を和英しても決して「タイガー」という訳は出てきません。つまり、虎は何の関係もないのですが、ではなぜかトラが使用されているのか?面白いのはここからです。以下、久保氏の著書より引用します。

伝説の上では、虎の巻は忍者が変幻自在の神通力をあらわすときに、口にくわえる巻き物である。忍者が山で修行をしているとき、「トラの巻」を「天狗」から授かることになっている。天狗は山の神と言われている。とすれば、「トラの巻」は『山の上で神から授かる巻き物』ということになる。かつて古代イスラエル人はシナイ山で神から「トーラー(律法)」を授かった。聖書である。モーセはそれを巻き物に記した。そののちモーセが記した5つの書物(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、とくに「トーラーの巻き物」と呼ばれるようになった。今日もユダヤ人がシナゴーク(会堂)に持っているトーラーは、巻き物である。  神道のルーツとユダヤより

古代イスラエルと多くの共通点を持つ「キルギス」など中央アジアの言葉では「テングル」は「神」の意味のようです。

つまり、天狗=神、忍者=モーセ、虎の巻=トーラーの巻き物(律法)なのです。モーセはエジプト人の奴隷となっていたイスラエル人を解放するためのリーダーでした。出エジプト後、シナイ山という山に登り、神から律法を受け取ります。これがトーラーなのです。つまり今日私たちが知っている「虎の巻」という言葉は実は「聖書」のことなのです。聖書こそまさに秘伝書「虎の巻」なのです。

③月経小屋(忌み小屋)

簡単にいうと月経中の女性を隔離する小屋のことで、月経中の女性は「汚れ」の中にいるとされ、神事には参加できず、もちろん男子禁制、食事も家族と別扱いだったそうです。期間としては月経中およびその後7日程度。明治初期に廃止されたそうですが、それまでは全国にみられた風習だったようです。

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画像はこちらより

しかし、実はこの風習は古代イスラエルと全く同じなのです(レビ15.19&28)。

「汚れ」と聞いてひどい事を言うなと思った方、これには理由があります。神様の教えにはいつも意味があります。ときに人間には理解し難いことも実は理由があるのです。ですから、女性の方、怒らないで下さいね。

女性の方は経験上おわかりだと思いますが、生理中は精神的にも肉体的にも不安定になります。ですから、この月経小屋とは言って見れば保養所のような場所だったのです。

忌み小屋(いみこや)とは、昔、女性が出産する際、または月経中に使用されたとする小屋。
月経中の女性は穢れ(気が枯れている)の状態とされたため、精神的・体力的・霊的にも体の力をこれ以上消耗しないために忌み小屋で女性一人が夫と離れて一時期生活していた。
出産もまた然り。ちなみに上記の穢れは、汚いという意味ではなく、気が枯れている[2]、つまり生命力が落ちている状態を指す。  wikiより

ということで、神様は女性の体を気づかってこのような律法を作られたのです。

④キレイ好き

日本人はきれい好きと言われます。その1つに「足を洗う」というものがあります。日本人は家に入る時は靴を脱ぎます。最近は欧米でも靴を脱ぐ人も多いですが、オーストラリアはもう先を通り越してどこでも裸足の人がそこらへんにいます。まれに靴下だけ履いてる人も…

小谷部全一郎氏によると、明治維新当時までは長距離を歩いた人が家に上がる前はタライに水か湯をくんで足を洗ってから家に上がるという習慣があったそうです。これは日本独特のもののようです。

で、古代イスラエル人も同様に足を洗う習慣がありました。

彼は、この人を自分の家に連れていき、ろばに、まぐさをやった。彼らは足を洗って、食べたり飲んだりした。 士師記 19.21

また、日本人はお風呂が好きです。というよりも欧米ではもともと湯船に浸かるという習慣がありませんでした。で、面白いのがヨーロッパで香水が発達した理由はここにあるようです。ようは体臭がきつかったので香水が必要になったのです。

そして中世のヨーロッパ、特にフランスのパリは実はものすごく不潔な町だったのです。なんと家にトイレが無く、それを溜める専用のツボがあり、溜まったら窓から捨てる、というのが普通だったのです!つまり街路は汚物まみれ、上からも振ってくるわ、投げてくるわの自体だったのです。上にも下にも注意しなければ街は歩けない…ハイヒールが生まれた背景も汚物を避けるためだとか、日傘の本当の機能は…など、こちらのNAVERまとめ是非ご覧下さい。 トイレの歴史があまりにショッキングで多くの事を教えてくれた

ペストが大流行した理由がやっとわかりました。で、実はペストが大流行したとき、ヨーロッパ人の1/4が死亡したとのことですが、ユダヤ人はほとんど死ななかったとか。

実はユダヤ人もとても清潔好き、外から帰れば手足を洗い、食事前にはしっかりと手を洗い、頻繁にお風呂にも入っていたからと言われています。ここも日本人ととても似ています。

⑤年末の大掃除

実はユダヤ人も正月前に大掃除をする。

まず、祭り(過ぎ越の祭り)の最初の日に家から酵母を取り除く。 出エジプト12.15

家から酵母を取り除くとは、菌を取り除く、つまり掃除をするということです。

過ぎ越の祭りとは?

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(画像はこちらより)
これはユダヤ人にとって非常に重要な祭りです。簡単に説明すると、かつてイスラエル人がエジプト人の奴隷だったとき、神様は天使を遣わし、エジプト人の長男全ての命を断つという災いをエジプトに下します。その際、イスラエル人の家は天使が過ぎ越すように神様から言われたように子羊の血を家の鴨居や柱に塗ってその災いを免れたのでした。この災いの結果、エジプトのファラオはとうとうイスラエル人を解放することを認めるのです。つまり、この過ぎ越しの祭りは神がイスラエル人を解放へと導いて下さった記念すべき日なのです。

⑥正月

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画像はこちらより

日本人は正月に約7日ほど餅を食べます。そして1月7日に七草がゆを食べます。採用する暦が変わる前は日本人は七草がゆを1月15日に食べていたそうです。春の七草は「苦い」です。

で、イスラエルにも実は同じ風習があるのです。イスラエルでは1月15日から7日間種無しパン(といってもクラッカーのようなパン)を食べます(これが過ぎ越しの祭りです)。この種無しパンを「マツァ」と言います。モチとマツァの発音も似ています。

そしてイスラエル人は1月15日に苦菜を食べます。

その夜(1月15日)……苦菜を添えて食べなければならない。 出エジプト12.8

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こちらが過ぎ越しの食事です。苦菜を食べる理由としては「奴隷のときを苦しみを思い出すこと」それによって神に感謝するという意味。

⑦沖縄版 過ぎ越しの祭

上で説明した過ぎ越しの祭ですが、これと驚くほど似た風習が実は沖縄に伝わっているのです。

沖縄には看過(カンカー)とか、シマクサラシなどと呼ばれる厄除け・厄払いのための風習がある。それは家畜の血を家の鴨居や柱に塗ったり、血に浸した木の枝を軒(のき)にさし、あるいは家畜の骨を村や集落の出入り口の上空に吊るして、厄払いを祈るのである。また集落の入り口や四隅などにも、同様のことをする(「沖縄の年中行事」崎原恒新著)。 沖縄にみるユダヤ文化より

また他にも非常に興味深い言い伝えや方言などがあるのです。以下沖縄にみるイスラエル性のサイトよち転載します。

1) 旧約関係:

・ アダムとエバの名: 古宇利島には”アダ(安田)”、”イブ(伊部)”という地名があり、本島の恩納村にも”いんぶビーチ”があり、年配の人は”いんぶ”を”イブ”と発音する。沖縄では、”人は死んで土に還る”(=創3:19)という言葉がある。亡くなった人が土(アダム=”土”の意)に還るとき、(「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と同様に)”アダマーの神よ”と呼びかけ、天の国の親加那志(ウヤ ガナシ=宇宙の創造者なる絶対神、加那志(ガナシ)は”~様”の意)がその人の霊を浄めて下さるように祈る。

・ 女の創造: ”イキガヤ・ソーキブニーヌ・ティーチタラーン”は那覇地方の人がよく使う言葉で、”男は肋骨が一本足りない”ので、”男は女に夢中になると愚になる”という意味である。(創2:22) (注:エバはアダムの肋骨から創られました)

中略

・ 偶像: 県内のいたるところにある”御嶽(うたき)”とよばれる礼拝所には、お香の壇はあるが”偶像”がない。(古神道も同様に偶像をもたない) (注:偶像崇拝はユダヤ教において最も忌み嫌う罪です)

・ 豚肉: 沖縄の人はよく豚を食べるが、昔のユタやノロ(神職)は、豚は”汚れた動物”であり”罪人の食べもの”であるという理由で、一年中 豚を食べなかった。久高(くだか)島では、民間人も正月の3日間は豚肉を食べない。イスラエル人にとって反芻しない豚は汚れた動物で、食べることを禁じられていたのと全く同じ。(レビ1:17、新約時代は、「反芻」しない人=貪欲で、神様の前に罪を告白して悔い改めない人は 受け入れてはならない、の意と考えられる)

などなど、どう考えても古代イスラエルの影響を受けているとしか考えられない風習が沖縄には色こく残っているのです。是非これから沖縄に行かれるときは是非事前に情報収集してから行ってみて下さい。きっと驚く発見があると思います。

まとめ

祭り、言葉、風習などから日本とイスラエルの繋がりをご紹介しましたが、いかがでしょうか。地理的に遠く離れた中東の国イスラエルと日本がこんなにも似ているのは古代イスラエル人が日本に来ていた証だと私は確信しています。

そして古代イスラエル人とは神から選ばれた民だったのです。つまり言ってみれば日本人は神から選ばれた民の末裔たちの国でもあると思うのです。ですから、日本人は決して聖書とは無縁の民族なんかではなく、むしろ聖書を手に取って自分たちの心の古郷に帰るべきだと私は考えます。なぜ日本人は自虐史観を植え付けられているのか、それは神の民であるがゆえに自分たちのルーツに目覚められては困るからでしょう。誰に?それは悪魔崇拝者たちです。それでも日本人は敗戦したにも関わらず経済成長を遂げて来たのです。日本人のポテンシャルというのはもしかするともっともっと高いのかもしれません。

気になる方は是非ご自身でも調べてみて下さい。
自分たちのルーツを知ることは、自分たちがどこへ行くのか?死んだあとどこへ行くのか?そういった答えを見つけることにもなります。その時間は人生において価値あるものになるのは間違いないでしょう。何かのキッカケになれば幸いです。

■中山■

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ABOUTこの記事をかいた人

菜食の元パーソナルトレーナー。
2016年に洗礼(バプテスマ)を受け、クリスチャンになる。食の探求から陰謀論の世界に入り、真実を追い求める。そして真実は聖書の中にあると確信。食や運動などトレーナーからの視点とクリスチャンの視点を合わせた情報発信を行う。